大会スローガン

河北町は『べに花の里』です
河北町は『べに花の里』です。江戸時代には、特産の『最上紅花』(昔は村山地方を最上といいました。)が植えられ、可憐な花びらは紅餅(花餅)となって、はるばる京都へ送られました。そして、京都の紅屋の手によって紅餅から真っ赤な紅がつくられ、それが京おんなの唇を彩るとともに、紅色の美しい衣装を染めあげました。神秘的とも思える紅の美しさは、いつの時代も女性のあこがれの的でした。
それほどまでに貴ばれた紅花でしたが、明治になると外国産の化学染料に押されて姿を消してしまいました。しかし、その後も宮中や皇大神宮の式典で用いられる服装はいつも本県産の紅花で染められ、紅花はひそかに生き続けて来ました。
昭和56年に『河北町の花』を定める時、町では迷うことなく『紅花』を町の花に選び、その後、『紅花資料館』を開館し、さらに『紅の館』を増設しました。紅花は人々の心をとらえ、消えかけていた本物の美しさが見直され紅花を愛する人々の力によって奇跡的に蘇ったのです。
町が、紅花を町の花と定め『べに花の里・かほく』を標榜している理由は、江戸中期以降にみられる最上紅花の集散がこの町で行われたことによります。
町には、天正年間(1573~92)の紅の生産を物語る資料が残っており、江戸時代も寛政年間(1789~1801)ごろから安政年間(1854~60)あたりまでは、いわゆる最上千駄の時代で、全国生産の50%をこの村山地方で生産していました。
紅花は中国から渡来し、次第に雪深い東北地方等でも栽培されるようになりました。このように紅花は岩手県以南の日本全国で栽培されたことになりますが、特にこの村山盆地周辺が全国生産の半数を占めるようになったのは、土地が紅花栽培に適しており、換金作物として重宝されたためといわれています。
(河北町教育委員会 発行 紅花資料館~よみがえる紅花(くれない)~ より引用)
このように河北町と紅花は深い関わりがあります。
町の施設に『紅花資料館』をはじめ会員大会の式典、メインフォーラムの候補施設でもあります『サハト(アラビア語で紅花の意)べに花』、他には河北町のマークも赤地の丸に白くかたどった紅花と、紅花とはとても縁の深い物となっております。そして、この紅花は河北町の花であると同時に山形県の県花でもあります。 これらの事から紅花をモチーフとしたデザインとしました。
郷土山形に根差す紅花から発生する17本の花弁は県内17LOMを4枚の葉は各エリアをイメージして表現いたしました。また地球環境を考えている部分を強調する為に中心に地球を配置しました。より環境問題と山形県をイメージさせるシンボルマークとなりますのでよろしくお願いいたします。
スローガン・コンセプト
ecoとしよう! 読み方(いいことしよう)
地球温暖化、オゾン層の破壊等の環境問題は社会全体での取り組みが急務とされています。 今こそ大自然を育む地球を一つの命としてとらえ、私たちにできることは何なのかを明確にし、 行動していかなくてはいけないと考えます。市民が地域の発展を願うように、地域が国の繁栄を願うように、国がこの星の素晴らしい未来を願うように、各々が互いの立場に立って、良い(e)と思ったこ(co)とをおもいやりの心とともに実践していくのです。
J情熱C地域 愛 読み方(じぇーしーあい)
Jayceeを支えるものはあふれる情熱と、地域への深い愛だと考えます。メンバーにはこのことを誇りに感じてもらいたい。地域の人たちにはこの想いで活動している私たちをもっと知ってもらいたい。そして、この大会に参加していただいた皆さんが強く輝くことで、市民意識の変革につながり、環境問題という地球的な難問に対してもこれまで以上に逞しく取り組んでいけることを切望します。
~みんなの一歩が 地球の未来~
初めは小さな一歩かもしれません。それでも、ありたい方向に、素晴らしい地球の未来に、みんなで踏み出すことで必ず成し遂げることができると信じています。